パーニニ・スートラを教える時のメソッドとして、
私はलघुसिद्धान्तकौमुदी を愛用しているのですが、
インドでスートラを勉強している人の殆どは、
कौमुदी に関して、多大な誤解&混乱をしているので、
「Medhaさんは、कौमुदी を教えられているので、अष्टाध्यायी は教えられていなんですね。」
という、無知と混乱も甚だしい、愚の骨頂とも言える質問をいただくことが、
しょっちゅうあります。
何十年もサンスクリット勉強してきてこんなこと言ってくる人達って痛いなぁ、と感じながらも、
同時に、あと10年後には、このような質問を聞かなくて済むように、
正しい知識を持った次世代をどんどん輩出していこう、とやる気も増してきます。
しかし、このような質問をしてくる人は、自分の方が正しいと信じているので、
こちらの説明を聞くオープンな心を持っていないから、説明しても無駄なので、
せめても、こちらに書いておきます。
何が起きているかというと、
कौमुदी を、अष्टाध्यायीを使わずに教える勉強方法がまかり通っている。
これが、そもそもの問題の始まり。
とにかく、लघुसिद्धान्तकौमुदीを丸暗記して、ヴリッティのみを頼みにしてスートラを理解している。
だから、अष्टाध्यायीからअनुवृत्तिを引いて来る等の使い方を知らない。
これは、完全なभ्रम です。でも、それがメジャーになっているのが、そもそもの問題。
ラッキーなことに、私が初期の頃から学んだ先生の殆どは、
以下に示した、きちんとしたकौमुदीの勉強の仕方で教えてくれました。
अष्टाध्यायीは必携。लघुसिद्धान्तकौमुदीの順番に沿って各スートラを勉強する際に、
अष्टाध्यायीを参照して、अनुवृत्तिを引っ張ってきて、परिभाषाを応用しながら、
自分でヴリッティを作文出来るように訓練する。
ある程度のスートラをカヴァーしたら、अष्टाध्यायीのトピックの単位で、
スートラの順番どおりに復習して、अष्टाध्यायीの構造の理解を深める。
その詳しいステップは、 著書にまとめております。
特に、各種のपरिभाषाを分類してまとめる作業は必須。
そのような作業は、「おのれの頭で考えたら分かるやろ!」と思われているので、
लघुसिद्धान्तकौमुदीでは、いちいち扱われていません。
私の著書の中では、そういうのを、いちいちまとめてあります。
動詞のアンガとプラッティヤヤの変化を別々にやってくれない、とか、
लकारを、4つと6つに分けてくれてない、とか、
そういうレベルの低いケチをつける人達には、
「Figure that out by yourself!(そんなことぐらい、自分で分かれよ!)」という姿勢なのです。
そういう初心者レベルの勉強方法は、初心者がするべきことです。
初心者には、アンガとプラッティヤヤを別々に変化して用意する、
という方法で教えて、きちんと読めるようになるまで教えてから、
スートラの勉強をするものですから、何を今更!って感じです。
プレーヤーに、पाणिनीयप्रवेशाय とあるように、
लघुसिद्धान्तकौमुदीは、अष्टाध्यायीを勉強するためにデザインされた、
勉強方法=メソッド です。
名詞は性別に、最後の音のアルファベット順で、
動詞はガナ順、धातुपाठに出て来る順、लकारのアルファベット順で、
計算しつくされた例が、物語のように展開されています。
だから、構造を知っていれば、名詞・動詞の活用リファレンス本にもなる。
逆に、काशिकाは、スートラの辞書であって、勉強方法は教えません。
例えると、काशिकाが辞書で、कौमुदीはレッスンごとに分けられている教科書になります。
言語を学ぶ際に、辞書は不可欠ですが、辞書から言語は学べないでしょう?
辞書も教科書も、どちらも必要。
学ぶときには、教科書に沿って、レッスンごとに進みながら、
教科書で与えられている例を見て学ぶ。
よく、「あなた、कौमुदी とकाशिका、どっちで教えるの?」と聞かれますが、
その質問がいかに愚問であるか、お分かりいただけたでしょうか。
कौमुदी を知らない人々は、काशिकाを使って学ぶのだけど、
कौमुदीのように、文法家達によって踏み固められた、安全な道を歩まず、
自分達で思いつくままの順番で、思いつくままの例を使って教えるので、
当然、地雷を踏みまくる。だから、3年勉強しても、なかなか前に進めない。
1年もしたらもう、लघुसिद्धान्तकौमुदीで勉強したチームの方が、
スートラの数も、理解の深さも、काशिका組を抜いてしまっています。
なのに、काशिकाを勉強している人は、कौमुदीで勉強している人を、
すんごい上から目線で見下してくるのね。
なぜかというと、彼らは、
「कौमुदीで勉強している人は、अष्टाध्यायीの使い方すら知らないのよ~」
という片手落ちな状況の理解しかしていないから。
結局何が言いたかったのかというと、
正しい方法で勉強されたकौमुदी が最強!ということ。
しかし、それを知っている人は、まだまだマイノリティー。
出来るだけ多くの人に、正しいकौमुदीの勉強方法を教えて、
10年後には、この認識がメジャーになっていられるよう、
多くの有能な生徒に教えたいです。。。
あと、たまに聞かされるナンセンスは、
私が初心者にAntoineを使って教えていない、と言うと、
「え~、じゃあ、いきなりスートラから教えているの?」と聞かれたことが何度か。。。
この世の中にある初心者のテキストって、Antoine以外にもいろいろあります。
ちなみに、各国の方々が色々な読み方をされていますが、
フランス語読みで「アントワン」が一番近いカタカナです。
Antoineで勉強すると、スートラが頭にちゃんと入らないので、
もっとシステマティックな初心者用の教科書を自分で作った次第です。
そして、
「あなた、サンスクリット教えているのね。じゃあ、ヴェーダーンタは勉強していないのね。」
これもたまに言われます。その「じゃあ」のロジックって何?
両立出来ないって決めつけているのは、それを言っている人の力量を基準としてるのかな?
変なコンプレックスの表れなのかな、と思って受け流しています。
私はलघुसिद्धान्तकौमुदी を愛用しているのですが、
インドでスートラを勉強している人の殆どは、
कौमुदी に関して、多大な誤解&混乱をしているので、
「Medhaさんは、कौमुदी を教えられているので、अष्टाध्यायी は教えられていなんですね。」
という、無知と混乱も甚だしい、愚の骨頂とも言える質問をいただくことが、
しょっちゅうあります。
何十年もサンスクリット勉強してきてこんなこと言ってくる人達って痛いなぁ、と感じながらも、
同時に、あと10年後には、このような質問を聞かなくて済むように、
正しい知識を持った次世代をどんどん輩出していこう、とやる気も増してきます。
しかし、このような質問をしてくる人は、自分の方が正しいと信じているので、
こちらの説明を聞くオープンな心を持っていないから、説明しても無駄なので、
せめても、こちらに書いておきます。
何が起きているかというと、
そもそもの間違い
कौमुदी を、अष्टाध्यायीを使わずに教える勉強方法がまかり通っている。
これが、そもそもの問題の始まり。
とにかく、लघुसिद्धान्तकौमुदीを丸暗記して、ヴリッティのみを頼みにしてスートラを理解している。
だから、अष्टाध्यायीからअनुवृत्तिを引いて来る等の使い方を知らない。
これは、完全なभ्रम です。でも、それがメジャーになっているのが、そもそもの問題。
ラッキーなことに、私が初期の頃から学んだ先生の殆どは、
以下に示した、きちんとしたकौमुदीの勉強の仕方で教えてくれました。
正しいलघुसिद्धान्तकौमुदी の勉強方法
अष्टाध्यायीは必携。लघुसिद्धान्तकौमुदीの順番に沿って各スートラを勉強する際に、
अष्टाध्यायीを参照して、अनुवृत्तिを引っ張ってきて、परिभाषाを応用しながら、
自分でヴリッティを作文出来るように訓練する。
ある程度のスートラをカヴァーしたら、अष्टाध्यायीのトピックの単位で、
スートラの順番どおりに復習して、अष्टाध्यायीの構造の理解を深める。
その詳しいステップは、 著書にまとめております。
特に、各種のपरिभाषाを分類してまとめる作業は必須。
そのような作業は、「おのれの頭で考えたら分かるやろ!」と思われているので、
लघुसिद्धान्तकौमुदीでは、いちいち扱われていません。
私の著書の中では、そういうのを、いちいちまとめてあります。
動詞のアンガとプラッティヤヤの変化を別々にやってくれない、とか、
लकारを、4つと6つに分けてくれてない、とか、
そういうレベルの低いケチをつける人達には、
「Figure that out by yourself!(そんなことぐらい、自分で分かれよ!)」という姿勢なのです。
そういう初心者レベルの勉強方法は、初心者がするべきことです。
初心者には、アンガとプラッティヤヤを別々に変化して用意する、
という方法で教えて、きちんと読めるようになるまで教えてから、
スートラの勉強をするものですから、何を今更!って感じです。
プレーヤーに、पाणिनीयप्रवेशाय とあるように、
लघुसिद्धान्तकौमुदीは、अष्टाध्यायीを勉強するためにデザインされた、
勉強方法=メソッド です。
名詞は性別に、最後の音のアルファベット順で、
動詞はガナ順、धातुपाठに出て来る順、लकारのアルファベット順で、
計算しつくされた例が、物語のように展開されています。
だから、構造を知っていれば、名詞・動詞の活用リファレンス本にもなる。
逆に、काशिकाは、スートラの辞書であって、勉強方法は教えません。
例えると、काशिकाが辞書で、कौमुदीはレッスンごとに分けられている教科書になります。
言語を学ぶ際に、辞書は不可欠ですが、辞書から言語は学べないでしょう?
辞書も教科書も、どちらも必要。
学ぶときには、教科書に沿って、レッスンごとに進みながら、
教科書で与えられている例を見て学ぶ。
よく、「あなた、कौमुदी とकाशिका、どっちで教えるの?」と聞かれますが、
その質問がいかに愚問であるか、お分かりいただけたでしょうか。
कौमुदी を知らない人々は、काशिकाを使って学ぶのだけど、
कौमुदीのように、文法家達によって踏み固められた、安全な道を歩まず、
自分達で思いつくままの順番で、思いつくままの例を使って教えるので、
当然、地雷を踏みまくる。だから、3年勉強しても、なかなか前に進めない。
1年もしたらもう、लघुसिद्धान्तकौमुदीで勉強したチームの方が、
スートラの数も、理解の深さも、काशिका組を抜いてしまっています。
なのに、काशिकाを勉強している人は、कौमुदीで勉強している人を、
すんごい上から目線で見下してくるのね。
なぜかというと、彼らは、
「कौमुदीで勉強している人は、अष्टाध्यायीの使い方すら知らないのよ~」
という片手落ちな状況の理解しかしていないから。
結局何が言いたかったのかというと、
正しい方法で勉強されたकौमुदी が最強!ということ。
しかし、それを知っている人は、まだまだマイノリティー。
出来るだけ多くの人に、正しいकौमुदीの勉強方法を教えて、
10年後には、この認識がメジャーになっていられるよう、
多くの有能な生徒に教えたいです。。。
あと、たまに聞かされるナンセンスは、
私が初心者にAntoineを使って教えていない、と言うと、
「え~、じゃあ、いきなりスートラから教えているの?」と聞かれたことが何度か。。。
この世の中にある初心者のテキストって、Antoine以外にもいろいろあります。
ちなみに、各国の方々が色々な読み方をされていますが、
フランス語読みで「アントワン」が一番近いカタカナです。
Antoineで勉強すると、スートラが頭にちゃんと入らないので、
もっとシステマティックな初心者用の教科書を自分で作った次第です。
そして、
「あなた、サンスクリット教えているのね。じゃあ、ヴェーダーンタは勉強していないのね。」
これもたまに言われます。その「じゃあ」のロジックって何?
両立出来ないって決めつけているのは、それを言っている人の力量を基準としてるのかな?
変なコンプレックスの表れなのかな、と思って受け流しています。